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記憶を頼りに書く・BRM602沼津600km

出走前まで

以前のブルベのパンク時に、パンク修理を短時間で行う必要性を感じたのでフロアポンプ式インフレータを購入。これなら体重をかけて簡単に規定空気圧まで入れることができる。ちょっとかさばるのが玉に瑕か。ボンベ式ならもっと早いんだろうけど、コストパフォーマンスを考えてフロアポンプ式を採用。また、ベルを方位磁石付きのものに変更。

今回のブルベはスタート前からトラブル続きだった。沼津駅で降り、自転車を組んだら後輪がパンクしていた。改札を出たところでチューブ交換をしていたら、警官がやってきて職質を受け、適当に対応しながらタイヤを嵌めていたら携帯ツールセットのタイヤレバーが折れ(ここで非常に不機嫌になったため、空気を読んでか?警官は離れていった)、さらに酔っぱらいに話しかけられ、睡眠時間が削られていく。もっとも最悪だったのは、パンクの原因がわからなかったこと。これが後々まで響いた。チューブに空気を入れてもパンク箇所が分からない。チューブを修理できないのは痛い。ちなみに、携帯ツールセットのタイヤレバーは通常の物よりふにゃふにゃしており、ワイヤービードのタイヤ交換には元々荷が重かった模様。

途中のコンビニで食料を買い込み迷いながら2:00頃にスタート地点に着くが、砂地でテントが張れるかどうかわからない(今思えばやってみればよかった)。海岸のほうに行き、ビニールシートを敷いてシュラフだけで寝る。が眠れない、時々ぱらぱら降る雨・堤防を時々通る散歩者の音・たまに通る車の音・そして蚊。海岸沿いでも普通に蚊がいるんだね・・ 結局電車の中でうつらうつらしたのと、スタート前に畳の上で少し寝れた以外は睡眠を取れずにスタート。今思えばスタートを遅らせて、1時間眠ってから出ればよかった。

スタート〜スローパンク

PC1まではトレインに無賃乗車。PC1周辺でのむさんと少々話せたが、それ以降会うことはなかった(俺が遅いから)。清水のルートが曲がるところでミスコースし、港まで言ってしまう。これはすぐに気付いたのですぐにルートに復帰する。主要道路沿いでも交差点で曲がるところは、予習時にチェックしておかなければならないな。

初めて通る大崩の海にはみ出す道路は面白い。このあたりもまだ集団について行けたのだが、中にリカンベントの方がおり、登りで追い越すのだが、降りや平地では追いつかれ、自転車の性質が噂通りだった。御前崎に近くなるにつれ、向かい風が強くなり、集団から後れがちになっていった。けっこう疲れてPC2へ到着。

PC2を出発しかけたら後輪のパンクに気付きUターン。最後のチューブに交換したはいいが、やはりパンクの原因がわからない。他の参加者より、「タイヤの裏側を指でなぞると原因がわかるよ」というありがたいアドバイスを受け、試してみたがやはりわからない。困った。ここで明るいうちにチューブをリペアすべきだったが、先を急ぐことを優先してそのまま出発してしまった。もちろんひとり旅。

PC3へは何事も無し。天竜川沿いの峡谷とダムの道は追い風と風景の良さのため快適。中設楽手前の道の駅風な風呂屋はトイレがあって便利だが、自販機が無いのは残念。17:00までなら売店が開いていたらしく飲み物を補給できたらしい。新野(にいの)峠を登るのは今回初だったが、なかなか長い。途中の道の駅で休憩したら間もなく夜。峠を越えたら何時までも続く長い降り。PC4の手前でサイコンの距離がPC4を行きすぎており、コンビニで現在位置を確認。PC4はまだ先であることが判明。今から考えても原因が不明なので、数字の見間違えかもしれない。

PC4で夕食を食べたら眠くなってきた。スポーツ新聞を買いそれを敷いて横になるが、他の参加者が皆出発してしまい、なんか寂しくなったので出発。間もなく後輪から嫌な感覚が! スローパンク再び。スペアチューブはもう無いし、暗くてチューブのリペアできないし(やろうと思えばできたと思うけど)。とりあえず繰り返し空気を入れながら進んでみる。するとすぐに空気が抜けていくんだけど、一定の所までいくとそれ以上は空気が減らなくなりギリギリ走れることを発見! ひとたび段差を越えたら状態が悪化して走れなくなる(=サドンデス)かもしれないが、空気の補充を止めてブルーな気分のまま走り続ける。行けるところまで行ってみるか?と半分投げやり。途中横道に入り仮眠、道の駅で目を閉じたり、善知鳥峠手前の公園で仮眠(鉄のベンチは冷えるのでもうやらない)と細かく眠りながら松本へ。みんなどこで仮眠したのだろう?

暁の善知鳥峠を越え、高出を過ぎて参加者の集団に追いつき、スローパンクのことを相談すると、チューブをくれるとのありがたい申し出(これは丁重に?お断りした)を受け、また「明るくなったからチューブをリペアしてみるといい」というありがたい助言も受ける。いざPC5で足掻いてみると・・ どうやら貫通パンク時のタイヤの穴の数が増え、中には4mmほどの大きさのものもあったことが原因のようだ。タイヤの傷から白い繊維が出ており、これがゆっくりとチューブを削っていったのかもしれない。コンビニでガムテープを買い、先ほどの方に手伝って頂きつつタイヤ裏側からテープで応急処置。PC2で交換したチューブをリペアして交換。さらに交換したチューブをリペアし予備チューブを確保。おかげさまで以後スローパンクすることもなく、パンクへの備えもでき、かなり気が楽になった。彼に感謝。いろいろ助けてもらったのに名前を聞くのを忘れて残念。ちなみに沼津駅でパンクしていたチューブは、バルブの根本の非常に小さい傷がパンクの原因だと帰宅後に判明。思いっきり空気を入れてやっと原因がわかった。輪行時にバルブを傷つけてしまったのか?

膝の痛み〜DNF

やっとスローパンクから抜け出せたのもつかの間、高出の辺りで左膝外側側面に違和感が発生。塩尻峠を登るうちに激痛に変わっていった。あとで「腸脛靭帯炎」という単語を知るのだが、これは今までの膝の痛みとは全く別の未経験の痛みだった。まるで悪化した虫歯の痛みのよう。仕方なしに数回休みながら登る塩尻峠は長かった。諏訪市街の降り坂は道が狭く、交通量も増えてきたため、痛みに耐えつつゆっくり降る。痛みが耐え難くなってきたため、富士見峠手前の個人商店にて30分以上の大休止。CP閉鎖時間までの貯金は無くなる一方だが、これで痛みが消えたら儲け物と氷を買い膝をアイシング。ついでに仮眠。結局アイシングの効果は無く、痛みはますます酷くなった。サドルの上げ下げでも足掻いてみたがやはり効果無し。また、クリートの位置調整をしようとしたが、ねじ穴に小石が詰まって調節不能。ニードルは必須の工具だと痛感。

特にクリートを外すときの痛みが激しいので、左ペダルにタオルを撒き、先ほどタイヤの応急処置で買ったガムテープでグルグル巻きに固定してフラットペダル化。左足は乗せるだけ、右足のみで富士見峠を登りはじめる。途中の薬屋にて頭痛薬を所望するが、自転車運転中で眠くなるのはいけないと強力なものは売ってもらえない。眠くはならないが代わりに効き目が遅いという関節痛用の薬を購入し飲む。

片足ペダリングなので当然ながら富士見峠の登りは長く感じる。ようやく峠を登り切り、一息つこうと左足を地面に着いたとたん、左膝から頭にかけて激痛が突き抜ける!! 自転車を降りるどころではなく、動けない状態。道路の左端にいる以上、左足に体重をかけて自転車を降りる必要があるのだが、左足に体重をかけると再び同様の痛みが走る始末。この時点でDNF(リタイヤ)を決断。激痛で立ち止まれない、自転車を降りられないという状況は危険すぎる。

しばらく固まっていると、h氏が通りかかったのでこれ幸いと状況を話してハンドルを持っていただき、ようやく自転車から降りられた。h氏には近くの駅までの道も聞いてきて頂き感謝。その間リタイヤの連絡を入れる。駅は近くにあり助かった。富士見峠は約470km地点で、あと130km走ればSRだった。残念だったが仕方がない。

大変なのはリタイヤしてから

自転車は痛くて漕げないが、歩く分には痛くないという不思議な状態。とりあえず帰ることはできそう。問題はスタート地点に置いてきたキャンプ道具。スタッフの方に着払いで送って欲しい旨頼んでみたが、なるべく取りに来て欲しいとのこと。歩く分には大丈夫なので取りに行くと回答。そう、ブルベは自己完結しなければならないのだ。どのみちキャンプ道具は宅急便で送る必要があったのだから、スタート前に送っておくべきだった。

富士見駅まで自転車を押して歩き、輪行袋に入れ、駅員さんにどういう路線で帰ればいいか尋ね、ホームへ。ゆっくりなら輪行袋をかついで階段も上り下りできる。いや下りは少々痛いか。時刻表をみると次の特急を逃して普通電車だと1時間待ち・・・はい、特急券買います。身延線でも1時間待ちがあったので途中から特急。田舎だと電車の本数が少なくて特急の利用が半分必須みたいな感じ。身延線の特急は混んでおり、1回子供が勢いよく輪行袋に体当たりし、ケガしてないか心配になったが、どうやらペダルにタオルを巻いたところにぶつかったらしく、何事もなく走り出した。ふぅ。丈夫なクロスバイクだから自転車については全く心配してなかったw いや、電車の中で走ると危ないだろ、注意しろよ俺。と思う一方で、混んでいる電車の中に輪行袋を持ち込み、ブルベ後の臭い体で載っていて肩身が狭いなぁとも感じていた。

東海道線は空いていて良かった。沼津駅に着いたが、自転車を置いていくのは不安なのでタクシーでスタート地点へ向かう。輪行袋はトランクには入らないんだね。後部座席に格納。学習院遊泳場に着いたらまずは風呂!! ゴール地点の風呂は神。こっちは途中から電車だったのに、ゴール済みの参加者が先に風呂に入っていた。この人達はどれだけ速いのだろう。スタッフの方や参加者の方と雑談。前半落車して肩に青あざを作ってもPBPのために完走しきった方や、途中居眠り運転して電柱に激突してしまいDNFして苦労して帰ってきた方がいた。遅くまでいると帰れなくなるので、他の方と話せないのは残念だけど再びタクシーで沼津駅まで。キャンプ道具を宅急便で送り、輪行帰宅。

これ以降しばらくの間、100km以上のサイクリング時には腸脛靭帯炎(ちょうけいじんたいえん)には悩まされた。だが、それ以外なら全くもって膝は痛まなかった [落車して膝を痛めたときのことと記憶を混同していたので修正]。当然というべきか、後輪ホイールにフレが出ていたので後日フレ取り実施。

記2008/1/7 更新2008/1/8
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